願いごと
紙っきれに書いた願い事が叶うなんて
もはや信じていないけど、
でも、その日は晴れればいいなあって思うんだ。
「雨、ひどくなってきた」
俺の腕の中で、潤の小さな声がした。それはひとりごとのようでもあったけれど、今この時に、俺とつながっている今この瞬間に、そんなことを言った潤を俺は許せなかった。こんな時に俺以外のことを考えている潤を罰するように、俺は彼のなかに深く入り込んで、内側からその身体を突き動かした。
「や……真治……!」
「集中しろよ……」
俺は潤の腰を持ち上げて激しく揺さぶった。いじりすぎて腫れた乳首がふるふると揺れて、俺は自ら張った罠に追い詰められていく。潤という、深い深い罠に。
俺のものだと思っても、愛されていると思っても、潤はいつも、どこか遠い。そして俺は一生、彼に対するそんな危機感に囚われて生きていくんだろう。
俺はきっと、潤を好きすぎる。
潤との空間を、物理的な距離を隔てられた今、俺は毎日潤のことを思って生きている。仕事をしながら、生活をしながら、まるで呼吸をするように、俺は潤を思わずには生きていられない身体になっている。
三月末の人事異動で転勤を命じられた俺に、潤は言った。
「行って来いよ」
「嫌だ」
駄々っ子のように拗ねる俺を、潤は言い聞かせるように諭す。
「ステップアップのチャンスだろう?」
「潤のいない会社なんて行きたくない」
まるで子どもだ。ママのいない幼稚園なんて行きたくない、そう言ってぐずる子どもと同じだ。
「バカ言うな」
「……バカでいいよ」
聞き分けのない俺に、潤は静かにため息をついた。
「なあ真治、誰もが喉から手が出るほど欲しくて、でも、誰にも与えられるわけじゃない機会なんだ」
「……そんなことわかってるよ」
「わかってるんなら行けよ……俺は、真治が進化するところを見たいよ」
会いに行くから。そう言って潤は俺にキスをしたけれど、でも俺は「行くな」と言って欲しかった。
「だ……って、星……」
尚も潤は俺を苛立たせ、哀しくさせることばかり言う。揺さぶられて泣いているくせに、感じて身体じゅうが熱くなっているくせに、どうして俺より天気のことなんか気になるんだ。明日になれば、おまえは新幹線に乗って、俺を置いて帰ってしまうのに。
「星がなんだよ……」
俺は腰の動きを止めた。気を散らしているくせに潤のなかの粘膜は、摩擦を惜しむように俺にまとわりついて吸い付いてくる。
「雨が降ったら、星が見えない……」
潤の目から、涙がつうっと滑って落ちた。
どうして泣くんだよ。雨が降って星が見えないからって、そんな自然現象の何がおまえを泣かせるんだよ。
許せない。
俺は腰を突き上げた。アイシテルという名の怒りに支配されて、俺は我を忘れる。潤の手首を押さえつけ、胸の下に組み敷いて、これ以上無理なところまで身体を開かせて、息つく間もないくらいにキスをする。
赦せなかった。何もかも。
二週間ぶりに会ったのに、俺に抱かれて他のことを考えてる潤も、俺たちを引き離した現実も、雨なんか降った今日の天気も頭上の星も、何もかも。
世界に、俺と潤と、二人っきりになればいいのに。
「催涙雨、って言うんだって」
潤のなかで果てて、その身体の上で脱力したままの俺の背を、細い指がそっと撫でた。
「さい……?」
「さいるいう。催す、涙の雨……七夕の日に降る雨のことだよ」
身体を起こそうとした俺の背を、潤は離れるなというようにぎゅっと抱いた。
「雨が降ると、星が見えないだろ、だから……」
「それじゃあ、織姫と彦星もたまんないよな。せっかくの逢瀬が台無しでさ」
自嘲するように、甘えるように俺は潤の首筋に顔を埋める。背中を撫でる指がやさしくて、憎まれ口でも叩かないと泣けそうだった。
「年に一回なのに」
潤の声が震えた。その振動が俺の耳朶を揺すり、息がかかる。潤はそのまま俺の耳朶を噛んだ。
「真治……」
俺のなまえを呼びながら、潤は耳朶を食む。甘噛みよりも少し強い刺激。潤がこんなことをするのは、よほど……そう、よほど感きわまったときなのだ。
ああ――こみ上げるものを耐えながら、俺は潤の心を思った。そうだった。潤は感情を表すのが苦手だ。だから、いつでも俺は、全身を目にして耳にして、そんな潤の気持ちを読み取らなければいけなかったのに。
「潤、俺と離れてるの、淋しい?」
潤は何も言わず、ただ俺の耳朶を噛んだ。少し強く噛まれて、さっきまで信じられなかった潤の気持ちが、すごい勢いで俺の中に流れ込んでくる。甘い、甘い痛みを伴って。
「願いごと、しようか」
俺は潤の頭を抱き込んだ。耳朶を外れた唇をそのまま重ねて、その歯を舌でなぞる。刺激に呼応するように、潤は爪の先で俺の胸をかりかりと引っ掻いた。
「七夕だからさ」
「ん……っ」
喘ぎで答えた顔に今度は軽いキスをして、俺は潤の目を見つめる。
「潤が、いつも幸せでありますように。えっとそれから、一日も早く、俺が潤のところへ戻れますように」
少し照れて早口で言ったあと、俺は潤をぎゅっと抱きしめた。
「潤は?」
潤は俺を抱きしめ返す。俺の胸に顔を埋めてくぐもった声が、皮膚を振動させながら、まだ疼く俺の耳に届く。
「……世界に、俺と真治と、二人っきりになれますように」
天の川を挟んで、二つの星もそう思っただろうか。
来年は、どうか晴れますように――。
俺はそう願わずにいられなかった。
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