恋になるまで

 

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 同期の男にキスされてしまったーー。
 平凡という名の平和な毎日を送っていた嶋田博隆にとって、それは大きすぎる出来事だった。
 相手はしかも、デキる男にしていい男の紺野春樹――絶対につきあう相手にも遊ぶ相手にも不自由していなさそうなやつだ。
 でも、あれは「ちょっとふざけて遊んでみました」というキスじゃなかった。どこか切羽詰っていて、思わず身体が、心が動いてしまったという、崖っぷちの余裕のなさ……それは、紺野の鼓動や指の熱さが物語っていた。自分にこんなことをして、一番驚いているのは紺野自身かもしれないと嶋田は思う。
 それでも、日に日に大きくなる「じゃあどうして」という思いを無視できず、今度は嶋田が社内で紺野の姿を探すようになった。
 だが、もともと部署も違って、紺野は外回りの多い営業だから、会おうと思っても、なかなか会えるものではなかった。 
 それでも、今まではそれなりに社食や休憩コーナーですれ違うこともあったのだが、それには紺野の意思が働いていたのかもしれない。自惚れでもなんでもなく、嶋田は考えた。なぜなら、紺野と会えなくなってから、例の視線も、静かな呼びかけも、ぱたりと途絶えてしまったからだ。

 ――あいつ、僕のことを避けてやがる。
 嶋田は憤慨した。人のことをこんなに落ち着かなくさせておいて、理由も言わず、言い訳もせず……考えれば考えるほど、腹が立ってくる。どうしてこんなにおまえに心を乱されなきゃいけないんだ。社食に行くたびに、おまえがいるだろうかとどきどきしたり、キスされたあのフロアで毎日仕事をする僕の身にもなってみろ!
 だがそんな憤りはすべて、ふたつの疑問へと帰着する。
 ――どうして、僕にキスした? 
 ――どうして、いつも僕を見ていた?



 捕まらないなら捕まえるまで。
 嶋田は実力行使に出た。第一営業課に紺野の帰社する時間を確認し、終業後になると言われたので、エントランスの前で待ち伏せした。
 そして、驚いて身動きできない彼を捕獲し、とある居酒屋の半個室に連行することに成功した。
 まったく、自分でもおっとりとした性格だと思っていたのに、この行動力はどこから沸いて出たのか。自分からこんなにも何かを思って行動したことなどなかったなと嶋田は我ながら驚いていた。
 ――目の前で、紺野は肩を縮こませて小さくなっている。まるで職員室でお叱りを受ける小学生だ。いや、最近の小学生の方がずっとふてぶてしいだろう……紺野は震える唇を開いた。
「この前はごめん……突然あんなことして……怒ってる、よな」
 よな、と言いながら視線が上目遣いになる。いつも自信に溢れた男のそんな姿に、嶋田の胸がちくんと痛んだ。急に、そんなふうに紺野を情けなくさせている自分に気付き、いたたまれなくなる。
「いや、その……怒ってたのは、キス……されたことじゃなくて、そのあと避けられたことで……」
 キスという言葉を発するだけで、耳が熱くなる。対する紺野も顔を赤らめている。26歳の男同士の、この初々しさはなんなんだ。それに、紺野ってこんなヤツだったのか――? 
 押し寄せる息苦しさから逃れたくて、嶋田はロックの焼酎を飲み干してしまった。
「……好きなんだ」
 絞り出されたような紺野の一言には、せつない熱と響きがこもっていた。それを「冗談だろう」と一笑できるような余裕など、嶋田にはなかった。酒で内側から火照った嶋田に、その一言はさらに熱をかざした。
「ずっと、おまえのこと見てて、それであの日二人きりになったことで、どうしても自分を抑えられなかった……好きなんだ、ずっと好きだった……!」
 最初の一言を発してしまえば楽になったのか、紺野は潤んだ目をして思いのたけを吐き出した。
 好きだ、おまえがずっと好きだったと繰り返す。その熱に、次第に嶋田は飲み込まれていく。かざされるだけだった熱が、抗いようもなく身体の中へと侵入してくる。確かめたくなって、嶋田は問いかけた。
「好き……って僕のどこが」
「優しそうなところ」
 紺野は臆面もなく即答する。
「俺がわがまま言っても甘えさせてくれそうなところ」
 いい男が言う「甘えさせて」は媚薬だ。言ってることは小学生並みなのに、その台詞は色っぽさを孕んでいる。
「じゃあ、好き……ってどんなふうに」
「そんなこと聞いたら、おまえ引くぞ……」
「いいから言えよ」
 受けて立つように嶋田は言い放つ。紺野は視線をずらす。あまり飲んではいないのに、頬が紅潮していた。
「嫌だ、そんなこと言って、おまえに嫌われたくない……ずっと好きだったのに……」
 消え入りそうな震える声と、怯えるように逸らされた視線。泣いてるのを隠してるみたいに俯いて……。
 これは本当に紺野なのか?
 僕に嫌われることが怖くて、言いたいことも言えなくなっている、これは本当に、あの紺野なのか?
「……言えってば……」
 紺野はぎゅっと目を閉じて頑なに首を振る。そんな彼が、本当にいつもの紺野なのか確かめたくなって、嶋田は彼の手首を掴んだ。
 追い詰めてやる――逃げ場なんて、余裕なんて残してやらない。
 紺野に対する、不可解な苛立ち。いつも鷹揚で穏やかだと言われていた自分なのに、この感情は何だろう。でも嶋田は答えが欲しかった。人に求められるこの危うい感情に、名前をつけたかった。
 無意識に熱を孕んだ目で、、嶋田は紺野が死守するフィールドに足を踏み入れる。
 余裕なんて残してやらない。これ以上、僕から逃げるなんて許さない。あんなに――あんな目でずっと僕を見ていたくせに。
 嶋田は紺野の耳に唇を近づけた。
「言えないなら、違うやり方で僕を納得させろよ」



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