二つの夜~あなたと俺と、おまえと僕と、
一条の指は、無骨な男っぽい造りをしている。骨格がしっかりしているのだろう、節くれだってごつごつした指だ。何年か肉体労働をしていたので、手のひらはざらついていて、小さな傷もある。
だが、その指に髪を梳かれると、どうしてこんなに心地いいんだろう――シャンプーをまとって頭皮をくすぐる一条の指に、有坂はうっとりとした吐息を漏らした。
「良邦さん、気持ちいい?」
バスタブ越しに手を動かしながら一条が訊ねてくる。昼過ぎから高速を飛ばして約二時間――ここは、とあるリゾートホテルのバスルームだ。
急に思い立って予約したのだが、テラスを広く取ったオーシャンビューの眺めのいい部屋で、このバスルームからも青い海を臨むことができる。考えてみれば二人で旅行するのは初めてで、気分はちょっとしたハネムーンだ。
海の見えるバスルームでゆったりと湯につかりながら、好きな男に髪を洗ってもらう……何ていう至福のひと時だろうか。有坂は目を閉じたまま、満足そうに答えた。
「気持ちいいよ。今にもイッちまいそう」
「何言ってるの」
笑いながら、一条はシャワーで丹念に有坂の髪を流す。コンディショナーを馴染ませると、清涼なハーブの香りがバスルームに立ち込めた。リラックスしながら香りを堪能し、そのままマッサージされるのに身を任せていると、ふっと一条の指の動きが止まった。
「何?」
有坂が訊ねると、一条は少し笑って答えた。
「あの二人、今頃どうしてるかなって思って……仲直りできてるといいんだけど」
自分たちがここへやってきたのは、彼ら――海斗と春近を『メゾン・パラダイス』で二人きりにするためだったのだ。ああ、と有坂は軽く返した。
「大丈夫だろ。裕也が一人でぐるぐるして、高倉くんが単細胞なだけ。いつものことだから。障子と何とやらはハメれば直るんだよ」
オヤジの入った有坂の答えを聞き、一条はまた指を動かし始めた。顔は見えないが――その指の動きはリズミカルで何だか楽しそうだ。
「ずいぶんご機嫌だな」
話しかけると、一条は頭皮から指を離した。有坂の顎から耳のラインをそっとなぞり、耳朶を揉むように弄ぶ。
「そんなこと言って……本当はすごく心配なくせに」
「誰が……って、おまえ、やらしい触り方するなよ」
有坂は憎まれ口で抗議しようとしたが、一条の指は有坂の弱いところをなぞるのを止めようとしない。それどころか、無骨なはずの指は魔法がかかったみたいに妖艶にうごめいて、有坂の身体の奥から熱を引き出し、ゆらゆらと煽り出していく。
「やめ……ろって……」
「やめていいの――?」
答えを待たず、一条は有坂の顎を捕えて唇を塞ぐ。舌も入り込んでくる。首を捩り、不自然な体勢が苦しくなった頃、一条は有坂の頭を起こして力の抜けた上半身をバスタブ越しに抱き抱えた。そして、シャワーでコンディショナーを流し始める。
「そろそろ、俺もそっちに入っていい?」
「いいも何も……」
不自然な体勢のキスと耳朶への愛撫で息が上がった有坂は、一条の腕に頭をもたせかける。
「二人のことを考えたら、俺も良邦さんが欲しくなっちゃいました」
子どものように湯を跳ねあげて乱入してきた一条に抱きすくめられ、有坂は「僕もだ」と不敵に微笑み返す。
湯の中で戯れながら、二人は兆した身体を互いに溶け合わせていった。
◇◇◇
くったりとした春近を腕に抱え、そっと髪を撫でる。目を閉じていた春近は緑の瞳を開いて、海斗に柔らかく笑いかけてきた。
「ごめん、起こした?」
「いや……目を閉じてただけだから」
春近はそう言って、暗闇の中で海斗の唇を探す。子猫みたいに舌でじゃれついてくる春近を好きにさせながら、海斗はひとつ、深い息を吐いた。
「どうした?」
探し当てた海斗の唇の上で、ちゅっと音をさせながら問いかける春近の声が、怖いくらいに艶っぽい。
「ん……有坂さんたち、俺たちを二人きりにするために、気を利かせてくれたのかなって思って」
自分たち二人をここへ別々に呼び出して、事態に向き合わせてくれたのは有坂の計らいだ。もっとも、海斗は自分のせいで春近がそんなに悩んでいたことも知らなかったのだが……。
だから、有坂と、そして力添えをしてくれたに違いない一条にも感謝せずにいられない。
不器用なこの人のことを大切に大切に思っているのに、俺はいつも思慮が足りない。辛い時期を乗り越えた彼らのように、愛する人へのたゆまない思いやりを育てて行きたい、もっと大人になりたいと思う。
気持ちを新たにして、海斗は春近をぎゅっと抱きしめた。
「俺、裕也さんのこと本当に本当に大切にするから。もう泣かさないから。愛してるから」
今日、何度も口にした言葉をもう一度声にする。春近は海斗の裸の胸に寄り添って「うん……」と涙交じりの声を零した。
この世のあらゆるものに誓うよ。俺たちをいつも見守ってくれる喰えない元管理人とその恋人にも――。
抱き合ったまま指を絡め、深いキスを交わす。もう十分に身体を繋げて心を確かめ合ったけれど、眠ってしまうのは惜しいくらいに幸せだった。
視線を投げかけると、緑の瞳が潤んで「来いよ」と応える。海斗は春近をうつぶせにして、うなじにキスを落とした。ほころんだままのその場所に再び自らを沈め、春近を味わうように、海斗はゆっくりと腰を揺らす。
俺たちと同じように、彼らも幸せな夜を過ごしているといいなと思いながら。
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