三津谷さんが恋してる

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「パパが恋してる」番外SS


「さくらせんせいさよならねー」
「さよならねー」
「はいさようなら。また明日ね」


 身を屈め、差し出された二つのちっちゃな手のひらにタッチする。子どもたちを保護者へと送り出すこの時間は、こばと保育園の主任である佐倉にとって一日のうちで最も心和むひと時だ。
「お世話になりました」
 彼らの父親である三津谷悠斗が深く頭を下げた傍らに、長身の青年が寄り添うようになったのはいつ頃からだっただろうか。彼もまた佐倉に深く会釈をして、まとわりつくような双子の子どもたち――理久と理央をひょいと抱き上げる。
「それじゃ吹雪が歩けないよ。一人はパパのところへおいで」
 三津谷が言うと、双子は揃って口を尖らせた。
「やだっ」
「大丈夫だよ、駐車場までくらいなら」
 三津谷に優しく笑いかけ、青年は双子を抱っこしたまま歩き出す。
  ごめんね、というような顔をした三津谷は、振り向きざまに佐倉にもう一度会釈して、彼らのあとを追いかけていった。


 青年が迎えに来る日はいつもこんな感じで、三津谷家の双子たちは吹雪と呼ばれた青年にとても懐いている。双子たちの話から察するに一緒に暮らしているようではあるが、いったいどういう間柄なのかしらと、佐倉は素朴な疑問を抱いていた。
「主任、今日のリクくんとリオくんのお迎えって永瀬さんも一緒でした?」
  職員室に戻ると、若い女性保育士が息を弾ませて佐倉に訊ねてきた。「一緒だったけど?」と答えると、彼女を含む三人が「きゃーっ!」と黄色い歓声を上げた。
「やだ、主任、呼んでくださいよー」
「あたし、明日は門の当番かわってもらう!」
「二人の担任はあたしなんだからね!」
「ちょっとあなたたち何言ってるの」
  盛り上がる三人を佐倉が窘めると、そのうちの一人が「だって主任」と唇を尖らせた。
「永瀬さんってすごくカッコいいじゃないですか。三津谷さんもカワイイですし。あの二人に双子ちゃん加えたら最強じゃないですか」
「そうそう。目の保養よねー」
「保養って……保護者や園児のことをそんな目で見るんじゃありません」
「三津谷家は、私たちにとってハードな毎日の癒しですよう」
「そうそう」
「それに、あの二人って絶対に……よね」
  眉を顰める佐倉にかまわず、三人はまた盛り上がる。一人が言うと、他の二人もまた「きゃー」と声を上げた。目と目を見合わせ「ねー」なんて同意し合っている。
「絶対に、何ですか」
  ほんとにもう、この頃の若い子は……おばさんモードで問い詰めると、ツインテールの彼女は意気揚々と答えた。
「絶対に、恋人同士だと思います」
「恋人?」
「だって、リクくんとリオくんの話からすると一緒に暮らしてるみたいだし、どう見ても兄弟には見えないし、友だちというにも年とか離れてそうだし」
 そう言って、また「ねー」と声を合わせる。佐倉は呆れて反論した。
「何言ってるの。お二人とも男性でしょうが」
「やだ、主任。恋愛は自由だと思います」
 ツインテールの隣で、まつ毛をばさりとさせてもう一人がすかさず意見した。
「今の世の中は家族の在り方も結婚の形態も多様化して価値観も様々じゃないですか。だから、そういう偏見はよくないと思いますっ」
「そりゃそうだけど……」
  正論を吐かれ、ぐうの音も出ないところをさらに追い詰められる。
「それに、リクくんもリオくんも、最近すごく落ち着いて情緒的にも安定してますよ。これって、永瀬さんが一緒にいるようになってから特に……だと思いますけど」
 理久や理央のことを持ち出されると、佐倉は本当に何も言えなくなる。
  子どもが幸せであるということは、家族が幸せであるということに他ならない。だから佐倉は彼女たちに対して素直に負けを認めた。ただ、ひとこと小言を加えずにはいられなかったけれど。
「でも、必要以上に園児の家庭を噂するんじゃありません」
 彼女たちは肩を竦め「はあい」と、それぞれの持ち場へ戻って行った。


  とはいうものの。
  佐倉はやはり「まさかね」という思いが拭えない。三津谷はがんばりやのシングルファーザーだ。まだ若い彼に新しい恋人ができても何の不思議はないが、それが男だと言われてもピンとこないのだ。確かに、子どもたちが幸せであればどちらでもいいことなのかもしれないが。
「あの……すみません」
 背後から声をかけられて振り向くと、そこに立っていたのは、今まさに思考の渦中にあった三津谷パパだった。内心どきりとしつつ、佐倉は「あら忘れ物かしら」と笑顔で問いかけた。

「はい。理久がコップを忘れたみたいで」
 童顔でにこっと微笑む彼は、三十歳にはとても見えない。だが、可愛い笑顔の裏で、子育ての苦労や努力を重ねているのだ。佐倉はそれをよく知っていた。
「三津谷さん」
「はい?」
 忘れ物を取りに行って戻ってきた三津谷に、思わず「今、幸せですか?」と訊ねそうになり、佐倉は慌てて言葉を飲み込んだ。
「あの、雨が降ってきましたね」
「うわ。ほんとだ。駐車場まで走っていかなくちゃ」
 三津谷は困ったように空を見上げる。だが、保育園のビニール傘を渡そうとしたちょうどその時、傘を差した背の高い男がこちらへ走ってくるのが見えた。
「吹雪、来てくれたの?」
「うん、一本だけど車の中にあって助かったよ」
  やり取りする二人に、佐倉はおずおずと傘を差し出す。
「どうぞお使いください」
「いえ、一緒に入っていきますから大丈夫です。ありがとうございます」
  答えたのは吹雪と呼ばれた噂の青年、永瀬だった。近くで見ると、本当にかなりの美形だ。若い彼女たちが騒ぐのもわかる気がした。
  ありがとうございます、と三津谷も頭を下げ、二人はひとつの傘に入って歩いていく。
  男二人が入るにはその傘は小さく、永瀬が三津谷の方により深く差しかけていた。高い位置にある永瀬の右肩が濡れているのを見て、佐倉は何となく胸が痛くなった。
  ――恋人同士、ねえ。
  職員室に戻ろうとしたが立ち去ることができず、佐倉はそのままテラスから二人の後ろ姿を見送る。すると、 強くなる雨足の中、永瀬は三津谷を守るようにぐっと肩を引き寄せたかと思うと、深く顔を傾けた。
  ――えっ……?
 雨の向こうで、永瀬の唇が三津谷の唇に重なるのを佐倉は見た。二人は足を止め、傘の中でキスを交わしている。
 それは、一瞬のようにも、長い時間のようにも思えた。その間ずっと、佐倉の心臓はドキドキと鳴り続け、二人から目を離すことができなかった。鳴りやまない胸の中に、甘酸っぱくてせつない感情がじわじわと広がっていく。
 やがて顔を離した三津谷は、永瀬の腕の中で怒ったような、慌てたような様子で何か言っているようだった。そんな彼を宥めるように、永瀬はぎゅっと肩を抱く。微笑んだ永瀬がふと振り向いたので、佐倉の視線とぶつかってしまった。
  ――うわ、どうしよう。
  焦る佐倉を見て、永瀬も一瞬驚いたように目を見開いた。だが、次の瞬間には悪戯っぽい笑顔になる。
 彼は、佐倉に向けて人差し指をそっと唇に当てた。

 ――ナ・イ・ショ。

 彼の唇が、小さく、だが確かにそう動いた。佐倉がこくこくとうなずくと、永瀬はもう一度微笑んでから前を向いた。
 小さなビニール傘が駐車場へと消えていく。雨は降り止まず、佐倉はずっとその場に立ち尽くしていた。

 


 ――恋してるんだ。愛し合ってるんだ。あの二人……。
 治まらない佐倉の胸の鼓動を包み込むように、雨は優しく降り続いた。




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