シルバーリング

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「加納」
 名前を呼ぶと、潤はいっそう顔を赤くして肩を震わせた。
 そんな潤が顔を上げたのと、互いの唇が触れ合ったのは同時だった。最初触れるだけだった唇は、やがて強く押し当てられ、潤の指が俺の髪に差し込まれる。
 合わせる唇の角度が変わった。
 さっきよりも下の角度から合わさったと思うと、唇を包み込まれ、舌が入ってきて歯列をなぞられた。
 ストイックな潤がこんなにエロいキスをするなんて――。
 俺は夢中になって自分からも舌を絡めて、思いがけなく情熱的な潤のそれを強く吸った。
 止められない。
 ここがタペストリーだけで仕切られた空間だとわかっていても、もしかしたら淫らな水音が外に漏れ出ているかもしれないと思っても、待ち望んだキスを止める方法があるなら教えてほしい。
「ん……」
 漏れた潤の吐息を絡め取るように、俺は深く唇を塞いだ。そのまま指先で耳朶に触れたら「んっ」と、より甘い声が漏れた。
「高科……」
 名残惜しく離れた唇が、俺の名前を紡ぐ。
 キスの余韻にぼうっとしていると、潤の小さな声がした。
「長いこと、待たせてごめん……」
 それからのことはよく覚えていない。早々に会計を済ませてタクシーに飛び乗り、俺は潤を自分の部屋に連れ帰った。
 かなり頭に血が上っていたが、「俺が払わなきゃ意味がないだろ」という抗議を受けて、タクシーの中で潤から食事代を受け取ったことは覚えている。だがその間も手をしっかりと握っていた。手を離して、潤がどこかへ行ってしまったら大変だと、本気でそう思っていたのだ。
 アパートに帰り着くと、二人でもどかしくベッドに倒れこんだ。歩きながらシャツの中に手を入れて身体を触っていたので、ベッドに辿り着いた時には、潤のネクタイはほどけ、かろうじてシャツのボタンが二つほど留っているような状態だった。
 俺は潤の肩から、するりと邪魔な衣服を払い落とした。あの日見たのと同じ――あれから夢にまで見た背中を、俺は夢中で抱きしめた。
「ずっと、ずっとこうしたかった……おまえの背中、初めて見たあの時からずっと……」
 唇を潤の背中に押し付けて、夢中でくちづけた。合間に発したその声は、初めてセックスをした時みたいに余裕がない。
 潤は何も言わない。だが、俺の左手をそっと取ると、自らの唇に押し当てた。
 指の一本一本に舌を這わせ、爪を甘噛みする。その感覚にめまいがして、俺は目の前の、無防備に晒されたうなじを思いきり吸った。
「っあ……んっ」
 急に艶めいた声をあげて、潤は俺の腕の中で背中を仰け反らせた。その顔が見たくて、潤の身体を反転させる。
 息を呑んだ。
 そこにいるのは、見たことのない潤だった。
 赤く染まった目元と、濡れてしどけなく開いたままの唇は、表情が硬い潤を、壮絶にエロい顔に変えていた。その奥で、誘うように紅い舌が見え隠れする。
 いつもの無表情はどこに隠したんだよ? おまえはこんな顔をするヤツだったのか?
 俺に見つめられ、消え入りそうな声で、潤は「恥ずかしいんだ……」と異を唱えた。
「俺の指、あんなにやらしく舐めといて?」
 意地の悪い俺の切り返しに、潤は目尻をますます赤く染める。
「だって、おまえがあんなふうに触るから……」
 言い終わるか終わらないうちに、俺はその唇を塞いだ。
「潤……潤」
 絡め合った舌が離れるごとに名前を呼んだ。
「やっ……なまえ……呼ばな――」
「なんで? 名前呼ばれるの嫌?」
 宥めるように前髪を指ですいて、聞き分けのない唇を指でなぞると、潤は身体を震わせた。
「家族以外の誰……にも、そんな風に呼ばれたことな……あっ!」
身に付けたままだった下着の上から、俺は潤の股間に手を滑らせる。
「ここも? 俺が触ったから、ここもこんなになってるの?」
「やっ……あ……」
「逃がさない」
 身を捩じらせて逃れようとした潤の腰を、俺はすかさず抱き寄せた。
「待ったんだ。ずっと……ずっと。だからもう逃がさない。何処へもやらない」
 腰を捕まえられて、ふわりと浮いた潤の腕がシーツを掴む。そのまま腰だけを突き出した扇情的な姿で、彼は耐えていた。むせび泣くように声を抑え、全身を震わせている。
 それが羞恥を耐えていたのだと俺が知ったのは、もう少しあとのことだった。
 このときの俺は、普段からは想像できない潤の表情や声に溺れ、ただ夢中だった。指で、唇で、そして屹立した熱い自分自身で、狂ったように潤をかき回した。
「嫌」と啼きながら、潤は抵抗とも言えない形ばかりの抗いで、とろけた身体を開いた。 
 後ろから彼を押し開いた俺は、気絶しそうな恍惚感の中で、達してしまわないようにゆっくりと腰を動かす。少しでも気を緩めれば果ててしまいそうだった。
 ――まだ……まだイキたくない。もっと潤のなかに居たい。
「辛い?」
 潤は顎を仰け反らせ、酸素を求める魚のように喘いで、シーツを爪で引っ掻いていた。彼が爪を立てるたびに、なかが収縮し、意識を持っていかれそうになる。
 こんな格好をさせて、デリケートな部分を貫いておいて、潤を気遣う俺は矛盾している。 
 でも、やめられないんだ――。
「ごめんね」
 だから結局、そんなふうにしか言えなかった。申し訳なさと愛しさが大挙して押し寄せた。
「いい……高科の好きなようにして……いいから……あ、ん、んっ!」
 煽られて、我慢できずに腰を深く突き入れる。潤から許しが出た途端に、まるで自分が理性から切り離されて放り出されたようになった。
 ケダモノめ――。
 最後まで抵抗して頑張っていた理性が、消えざまに俺をあざ笑う。
「あ、んんっ……や……は、あ、あ――そんなに、動いたら、俺……あっ、たかしな……っ」
「真冶」
 俺の動きに沿ってびくびくと跳ねる背中に身をあずけ、結合を深くしてキスの雨を降らせる。一年以上前のあの日から自分を虜にした背中に、俺は自分の名前を刻みつけた。
「真冶。呼んで、潤。俺のこと、真治って呼んで……」
 しんじ、しんじ、と呼びながら、俺の手の中で、潤の方が先に果てた。ぐったりと崩れ落ちる身体を抱きしめて、俺もまた、潤のなかに放った。

 ――それから、、何度も何度も身体を重ねた。
 逃がさない。
 何処へもやらない。
 離さない。
 呪文のように繰り返しながら、俺はいつも夢中になって潤を抱いた。
 自分の方が彼を好きな自覚はいつもあったが、受け入れてくれることそのものが答えだと思っていた。だがこんな俺が、きっと潤は重たく面倒になったのだ。
 今まで二人で積み上げてきたと思っていたものが、途端に独りよがりな脆くてつまらないものに変換される。
 結局、身体だけだと思われたのだろうか? 
 断じて違うのに。身体も心も切り離せない。その両方が愛しかった。
愛しかったのに――。
 たった一日で携帯のナンバーもアドレスも変えられた。それでも同じ会社にいるのだから、新しい連絡先だって調べようと思えば調べられるし、姿を見ることもできる。  
 だが、そういう形で潤から拒絶されたという事実は、俺を酷く打ちのめした。


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