シルバーリング

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『今日、帰ったら話がある』
 加納潤からメールが入ったとき、俺――高科真治は、今夜の夕食のことを考えていた。
 給料日前だし、今日は家メシだな……暑くなってきたから、何かさっぱりしたものがいいかな、潤の好きな和食系にするかな、そんなことを呑気に考えていたのだ。
 営業先をいくつか回って、俺はペアを組んでいる後輩の中田と、ファストフードの店で遅い昼食をとっていた。
 ――なんだよ改まって。
 そんな俺の心の声を読んだかのように、中田が「どうしたんですか?」と聞いてきた。
「いや、別に」
『了解』と返信を打ちながら答えると、中田はにやりと笑う。
「今一瞬、動揺してましたよ?」
 彼女さんですか? と興味を隠さず中田は食いついてくる。彼女じゃねえよ彼氏だよ、と心の中だけでツッコミを入れながらも、俺は図星を刺されて、少しだけ焦っていた。
 感情は顔に出やすい方だけれど、特に潤のことに関しては、俺はそのへんの制御が効きにくくなってしまう。
「帰ったら話があるって書いてるから、改まって何だろうって思っただけだ」
 照れ隠しも手伝ってぞんざいな口調で返すと、中田はまたにやりと笑った。
「どうします? 別れ話だったら」
「そんなのあり得ねーし」
 俺は自信満々で言い切った。
 だが確かに、少し違和感は感じたのだ。けれども、俺は潤との夕食のことで頭がいっぱいだったので、すぐに気持ちのスイッチを切り替えた。
 あいつの、少しはにかんだように「ありがとう」と言う顔が見たい――俺は夕食のテーブルに思いを巡らせる。その、うきうきとした気分が、少しの違和感を脇へと追いやってしまった。
 俺は浮かれていた。浮かれていて、何も見えていなかった。気づいていなかった。潤が喜ぶ顔が見られるなら、俺は何だってする。そんなことばかり考えていた。
 それほどまでに、俺は、恋人の加納潤に夢中だったのだ。


 俺と潤は、同じ会社の同期だ。
 パソコンのソフトウェアを開発、販売する「Bシステム」というのが俺たちの務める会社で、俺は営業、潤は総務に所属している。
 二人は一緒に住んでいるわけではないが、週末はほぼ終日、そして平日も半分以上は一緒にいる。主に俺の部屋に潤が帰ってくることが多いのは、近所に会社の人間が住んでいないからであって――。
 俺と潤が同期であり、男同士で付き合っているから、こういう窮屈な思いもしなきゃいけない――俺にとっては、そのことがとても不本意だった。
 その日、潤が俺の部屋に帰ってきたのは、ちょうど夕食の用意が整った頃だった。
 疲れているのか、いつも以上に顔に翳りが差している。もともと血色はいい方ではないけれど、今日はさらに、切れ長の目元が冴え冴えとしているのが気になった。
 今日の俺は一日外回りで、帰りも営業先から直帰したから、朝から潤の顔を見ていない――たった一日でも潤不足に陥ってしまう俺は、狭い玄関で彼をぎゅっと抱きしめた。
「お帰り」
 俺がそう言うと、潤はいつも目を伏せたまま「ただいま」と小さな声でつぶやく。その声も表情も、どこか素っ気なく甘い雰囲気とは言い難い。でも、それが潤の照れ隠しだということを、俺は承知している。
 だが今日は、潤は「ただいま」と言わなかった。ただ「うん」と蚊の鳴くような声で答え、そして俺の腕からすり抜けようとした。
 その手首を捕まえ、俺は潤の細い顎を掬い上げて唇を奪う。それはいつもと違う彼を責めるものではなく――ただ、逃げるものを追うような感覚だった。
 潤は口数が少ない。表情も少ない。だからこんなふうにして、潤が言葉以外の行動や態度で表す感情を、俺は読み取らなければならない。
 ちょっと機嫌が悪いのかな……。
 俺は考えた。だが、もう少し考えれば『話がある』というメールに結びついただろうに、今日に限って俺の認識はその程度だった。
「ん……」
 声と一緒に、潤のさらさらの黒い前髪が俺の至近距離で揺れる。ふわりとシャンプーの香りがたちのぼり、たまらなくなって、その薄い唇をちゅっと音を立てて吸うと、潤の肩から力が抜けた。
「……ただいまは?」
 脱力した肩を抱きとめ、責めるように言うと、潤は吐息とともに「ただいま」と答えた。
「よし」
 俺は満足して潤から顔を離す。
「じゃあ、メシにしようぜ」
「真治」
 潤が呼んだ。
「ん?」
「いや……やっぱりあとでいい」
 少ない口数ながら、いつも明快な潤にしては歯切れが悪い。
 やっぱり何か嫌なことでもあったのか? だが俺は、まだそんな思考に立ち止まっていた。


 今日の夕食は冷奴と焼きナス。そして鶏の照り焼き。さっぱりとこってりを組み合わせた、俺の得意メニューのひとつだ。
 潤は料理が苦手だから、自然とそれは俺の役目になっていった。潤を喜ばせたくて試行錯誤を重ねているうちに、気が付いたら、けっこう料理上手になっていたのだ。
「いつもありがとうな」
 箸をつける前に少し間があって、何だろうと思ったら、潤は言った。
「なんだよ改まって……早く食えよ」
 俺は照れ隠しでご飯をかっこむ。むせそうになった様子に少し笑い、そして潤は手を合わせた。
「いただきます」
 食べている間も、潤は普段よりさらに口数が少なかった。いつもなら、それなりに会社であったことなんかを話すのに。
 ――やっぱり元気ないし、疲れてんのかな。
 だから俺は「片付けは俺がやる」と言った潤を制止して、シンクの前に立った。
 鼻歌を歌いながら食器を洗う。蛇口から流れる水音にまぎれて、潤が名前を呼ぶ声が聞こえた。
「真治」
「んー?」
「俺、話が――」
「ああ、ちょっと待てよ。もうすぐ洗い終わるから」
 俺は茶碗を洗い流しながら答える。だが潤の声は大きくなった。
「いい……そのまま聞いてくれ。でないと俺――」
「ああもう、いったい何なんだよ」
 俺は水を止め、手を拭きながら潤の方を振り向いた。
 潤の目は切羽詰まっていて、顔は奇妙に歪んでいた。俺は驚いて思わず潤に手を伸ばす。だが潤は自分に差し出されたその手を、そっと押しやった。
「真治……」
「どうしたんだよ」
 詰め寄った俺に、潤は一瞬伏せた目を、かっと見開いた。
「俺たち、今日で終わりにしよう」
「は?」
「別れよう……別れてほしい」
 一瞬、潤が何を言っているのかわからなかった。そんな俺の、呆けているだろう顔から目をそらさず、潤は繰り返した。
「別れたいんだ」
「ちょっと……何言ってんの」
 冗談だろ、と言おうとした。でも、潤の目のあまりの真剣さに、言葉を失ってしまう。
「――ごめん」
 その謝罪の言葉に、停止していた俺の感情が動き出す。ごめんだなんて、何謝ってんだよ……!
「何でだよ!」
 俺は怒鳴っていた。潤の両肩を掴んで激しく揺さぶった。
「何で急にそんなこと言うんだよ!」
「考えてたんだ」
 潤の震える唇が言葉を紡ぐ。その同じ唇にキスしたのは、つい一時間ほど前のことなのに。
「ここしばらく、ずっと考えてた。会社の同期で、こんな狭い世界で男同士で付き合って――正直、疲れたんだ。これ以上、こういう関係を続けていく自信がない」
「自信? 自信って何だよ! そんなものあとからついてくるもんだろ! それに、おまえに自信がなくても俺にはあるからいいんだよ! 俺がおまえを大事にするから……!」
「片方だけが我慢する関係なんて、長く続くはずないんだ」
「我慢なんかじゃない!」
 俺はわがままを言う子どもみたいにぶんぶんと首を振った。だが潤は、静かにこう言っただけだった。
「もう、決めたんだよ」
 感情が高ぶる俺に対し、潤のその口調には、静かながらに有無を言わせない響きがあった。
 俺は潤の肩から手を離す。目の前にいるのに果てしなく遠くに行ってしまった男に、もう、どうやって接したらいいのかわからなくなっていた。
「週末に、ここに置いてある俺のものを取りにくるから……」
 だが、心の中を素通りしていくその声は、まぎれもない潤のものだった。玄関のドアが開いて、潤が部屋を出て行くとき、同じ声がためらいがちに告げた。
「メシ、うまかった……ありがとう」


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