シルバーリング

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13


「課長――急で申し訳ないんですが、明日の夜、俺に付き合ってもらえませんか?」
 不遜な顔で自分を誘う部下の顔を、営業部第一営業課の紺野春樹課長は、じろりと睨みつけた。胡散臭いセールスを一瞥するような目だ。
 俺は、そんな上司の視線を真っ向から捉えて対峙する。紺野課長は、皮肉な笑いと共に答えた。
「……君が俺を誘うなど、何か企みがあるとしか思えないが」
「それはお互い様でしょう」
 部下の生意気な物言いを、課長は鼻であしらった。俺はかまわず彼のデスクに身を乗り出し、小声でも聞こえるように、パソコンのモニター越しに顔を近づける。周りから見れば、データを二人で確認しているように見えるだろう。
「課長には、俺の大事な加納が世話になったようですから、お礼をさせていただきたいんですよ」
「――ふん」
 形のよい唇を嫌味っぽく曲げて、課長はメガネのフレームを持ち上げた。
「俺は、君のようなヤツから、未来ある社員を守りたかっただけだ」
「よけいなお世話です」
 冷静に話そうと思っていたのに、いちいち含みのある言い方に、やっぱり腹が立ってきた。だが、相手のペースに巻き込まれたら負けだ。
 潤のため、自分のため、そして嶋田室長のために――どうしても、紺野課長を舞台に引っ張り上げなければならない。
「別に俺と二人というわけではありません。加納も一緒です」
 課長の眉が不審げに歪んだ。
「……ヨリを戻したのか?」
「いえ……そういうわけではありません」
 一昨日、抱き合ったあとに、俺は潤から紺野課長の話を聞いた。
 彼は、俺と潤の関係を知っていて、それで、自身と嶋田室長との過去を踏まえて、潤に、ある助言をした。
 男同士で寄り添って生きていくということについての現実――何も生み出さず終わってしまった自分たちの過去――話を聞いて、なぜ急に、潤が別れようと言い出したのかはわかった。 
 潤もまた、室長と同じだった。
 俺の将来を考え「このままじゃいけないと思った」と、潤は自らが悪者になって身を引き、付き合いを終わらせようとした。
 だが、潤は別れの理由を話してくれただけで、気持ちが戻ってきたわけではない。おまえが好きだから離れるんだと――潤の自分への心を思っても、俺は納得できなかった。
 紺野課長が自分たちに対して――潤に対して干渉してきたこと。
 謹慎処分になってもいいから、この憎たらしい上司を殴ってやりたいと思ったけれど、そこには嶋田室長の影が見え隠れした。 
 すべての発端は、きっとそこにある。ただ、課長を殴って気を晴らしても、誰も前へ進めないし、幸せになれないのだ。  
 誰も救えない。潤も、俺も、室長も、そして紺野課長自身も。
「わかった。明日の夜、八時以降なら」
「……了解しました。場所はあとでお知らせします。美味い酒が飲めるといいですね」
 嫌味とも希望ともつかないことを言って、俺は紺野課長のデスクから離れた。ちょうど昼だった。そのまま社員食堂へ行き、嶋田室長にメールを打つ。
『昨夜お話していた件、明日の夜八時になりました。場所は未定ですが、ご都合いかがですか?』
 すぐに『了解した』の返信メールが届く。
 その四文字を、室長はどんな気持ちで打ったのか。きっと何らかの踏ん切りが必要だっただろう。過去の恋人に今再び向き合う覚悟は、彼の中に何をもたらすのだろうか。
 昨夜、俺は嶋田室長に会い、潤から聞いた話をした。紺野課長の恋人だった彼には、話しておくべきだと思ったのだ。
 部下の恋愛に首を突っ込むほど、課長がいかに過去の失恋を引きずっているのか……それが今回の離婚に関係あるのかどうかは、わからないけれど。
 俺が「室長と付き合っていたのは、紺野課長だったんですね」と言うと、嶋田室長はあっさりと「そうだよ」と答えた。そして彼は、紺野課長の離婚のことも知っていた。単なる社内の噂として聞いただけで半信半疑だったけれども……といいながら、ショックを隠せない様子だった。
「この前、飲みすぎて君に迷惑かけた時、あの時にはもう離婚のことを聞いていてね。好きな男が離婚したってことをどう受け止めていいのかわからなくて、じゃあ自分がやったことって何だったんだろうと思ったらやりきれなくてね……それなのに、君がやたらに紺野の話をするもんだから混乱したよ」
 室長は笑っていたが、俺はさりげなくこめられた言葉を聞き逃さなかった。
「やっぱり好きなんですね。今でも……」
「そうだね。変わるのは自分たちの形態だけで、自分の気持ちは変わらないと思っていたよ。一人で好きでいる分にはかまわないだろうって」
「すみません。俺、なんか課長のこと、さんざん悪口言ってましたね」
 俺が決まり悪くあやまると、嶋田室長は声を立てて笑った。
「いや、君が言ってることは尤もだから。本当に大人気ない、子どもみたいなところがあるんだよ。仕事はできるのにさ……君たちには、本当に申し訳ないことをしたね。でも、紺野をそんなふうに追い詰めたのは、元はと言えば、僕だったんだ」
「いえ、それで終わるなら、俺たちはそれだけのものだったんです」
 好きな男を庇って詫びる室長に、俺の中にせつなさがこみ上げてくる。
 何とかしたい。室長の気持ちが宙ぶらりんで終わらないように、何とかしたい……。
「紺野課長と会って、話してみませんか?」
「僕と春樹が?」
 春樹、と室長は紺野課長の名前を口にした。途端に、二人が愛し合っていたという事実が現実味を帯びてくる。
「おせっかいは百も承知です。俺は潤と一緒に紺野課長に会うつもりです。会って、俺は様々な現実に負けないんだってことを潤の前で課長に言いたいんです。要は、ほっといてくれってことなんですけど」
「ああ……わかるよ」
「それで、課長も室長もお互いにしっかりと向き合って欲しいって……これは俺の勝手な考えですけど、でも俺は、お二人にこのまま終わってほしくないんです。新たに始まるにしても、このまま終わらせるにしても……課長が離婚したばかりで不謹慎かもしれないですけど、だからこそ、今を逃したらダメなんじゃないかって」
 嶋田室長は微笑んだ。
「ありがとう。あの頃の僕たちに、君くらいの強い気持ちがあればよかったのにと思うよ……そうだね。せっかく僕が身を引いたのに、離婚なんかして、文句の一つも言ってやらないと気がすまない」
 俺はつられて笑った。
「それで、加納君との誤解は解けたのか?」
「いえ、誤解っていうか。基本的に潤の言ってることは変わりません。でも、室長が言ったとおりでした。人は、嫌いばかりで別れるんじゃないって……」
「じゃあ、僕も一緒に行くよ。君と加納君の力になれることもあるかもしれないから」
 肩を落とした俺に、室長はやわらかく笑いかける。力づけるようなその微笑みに、俺の中に新たな力が沸いた。
 役者は揃った。
 あとは、それぞれの場所から前へ進むだけだ。良きにつけ、悪しきにつけ――。


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