シルバーリング

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11


 久しぶりに訪れるそこは、相変わらず片付きすぎるくらい片付いていて、生活臭がしない。もともと、ほとんどを俺の部屋で過ごしていて、潤はこちらにはあまり戻らなかった。
 この殺風景な部屋で、潤は毎日何を考えていたんだろう。俺のいないこの空間で……。
 別れて一ヶ月――潤の生活を、俺は知る由もない。だが、俺の知らないところで、潤と紺野課長の間に何らかの接点が生まれていて、それがひどくショックだった。
 夜遅く一緒に帰って来たからと言って、二人が深い関係だなどというのは先走りすぎだ。俺だって、今までかかわりのなかった年上の男と親しくなった。
 だけど、別れを告げられたあとに、離婚したばかりの男が潤に接近し、しかもそれが俺を嫌っている上司だなんて、いかにも符合が合い過ぎていないか? そして、その紺野課長が嶋田室長の元恋人だなんて、この因果関係を俺はどう理解したらいいんだ?
 コーヒーを飲み終わるまで、俺も潤も無言のままだった。そして、先に口を開いたのは潤の方だった。
「この前はごめん。朝早くに急に押しかけて……あの、嶋田室長と親しくしてるんだったよな?」
 取ってつけたように、潤は室長の話題を振ってきた。
 潤にしてはめずらしく、視線が不用意に動く――さっき見た紺野課長の姿と相まって違和感がさらに膨らみ、俺の口調は少しきつくなる。
「あの人とは何でもないからな。年上の飲み友だちだから」
「わかってるって……」
「……じゃあ、紺野課長とおまえは何なんだよ? 接点ないだろ? こんな夜中にタクシーで送ってもらうほど親しいのか?」
 親しげに潤の肩を叩いた課長の姿がよみがえり、途端に嫌な気持ちになる。黒いどろどろとした感情がせり上がってくる。まさか……と、何度自分に言い聞かせても、沸き起こってくる疑念は、留めようがなく大きくなっていく。
 俺にずっと冷たかった紺野課長。
 離婚したばかりの紺野課長。
 急に別れを告げた潤――。
 俺の意思とは裏腹に、ピースは一つずつ合わさって、見たくない絵を形づくっていく。出来つつある絵に、今度は嶋田室長の姿が重なった。
「見たんだよ。さっき、一緒に帰って来たところを」
 問い詰める俺から、潤は目を逸らした。
「……高科と同じだよ。最近親しくなって、今日は飲みに行っただけ」
「だから、何で親しくなったんだって聞いてんだよ!」
 声を荒げると、潤の肩が少しびくついた。
 そんな頼りない潤を見ると、今度はたちまち、自分が彼をいじめているような気がして、自分に腹が立つ。だが、昂ぶってしまった感情は抑えようがなかった。
「仕事の上で接点ができただけだよ……」
 感情的になる俺に対し、潤はゆっくりと言葉を探しているようだった。だが、それは俺の求める答えになっていない。俺は、ますます苛立ちを募らせた。
 潤を好きになってからずっと、俺は彼にこんな苛立ちを感じたことなどなかった。いつでも潤が欲しくて、笑った顔が見たくて――そこにあるのは、せつないばかりの愛しさだった。好きでたまんないという単純な感情だった。
 別れを告げられたときでさえ、俺は潤を責めるよりも、自分の至らなさを嘆いてばかりいた。なのに、今のこの感情は何だろう。
 誰かにさらわれるくらいなら、いっそ、この場でめちゃめちゃにしてしまいたい――。他の男を見たその目を塞いで、唇も塞いで、罰してやりたい……!
 潤が自分を捨てたとしても、それが他の男に原因するものだなんて、考えもしなかった。だが、降って沸いた現実に、俺は今、押し潰されそうになっている。今まで知らなかった嫉妬という感情。紺野課長の存在と、彼と嶋田室長との過去が、それに火をつけた。
 室長がどんな思いで身を引いたのか、あの人は知らないのか? 
 今も指輪を大事にして、室長はきっと、課長との思い出の中に生きている。それなのに紺野課長は離婚したとたんに他の男と……しかも、それがどうして潤なんだよ!
 嶋田室長という新たなピースが加わって、不愉快なパズルが完成する。嫉妬にかられた俺の中に、疑う余地は残されていなかった。
 苛々にまかせて、俺は潤に言葉を叩きつける。
「あの人、最近離婚したんだってな」
「らしいね」
「らしいねって……離婚したばかりの俺を嫌ってる男と、おまえと、一体何の接点ができたって言うんだよ!」
 潤の目が、一瞬、悲しそうに歪んだ。一粒涙が浮かんで、零れ落ちそうになる。 
 だが、その浮かんだ涙を、潤はまるでいけないことをしたかのように、ぎゅっと目を閉じて払い落とそうとした。
「なんで泣くんだよ……?」
 潤の涙に、俺の心はまた乱れた。
 潤はただ、首を横に振って涙をやり過ごそうとしている。そんな姿に、泣きたいのは俺の方だと思いながら、潤を泣かせてしまった自分を、俺は消し去りたくなった。
 何か、何か潤は心の中に何かを抱えている。自分ひとりでそれを処理しようとして、きっと今、失敗した。それが何なのか、決して口に出そうとはしないけれど――。
 俺はまた間違えた。全身を目にして、耳にして、潤のことをわかろうと思っていたのに、今度こそ、どんなに小さなサインも見過ごさないんだと……。
 そんな自分が不甲斐なくて、俺は潤の前に膝をついた。
「……ごめん。言いすぎた……」
 手を伸ばして涙を拭っても、潤は嫌がらなかった。抱きしめたい思いと戦いながら、俺はもう一度、そっと潤の涙を拭う。
「でも、俺はふられても、やっぱりおまえのことが好きだから、おまえが他の男と居るところなんか見たくないんだよ……」
 やっと素直に思っていることが言えた……俺は、深く息を吐く。わがままな本音を、潤はどう受け取ったんだろう――潤は、頬を赤らめて下を向いた。
「あの人は、紺野課長はそういうのじゃない。俺は、おまえ以外の男なんて……」
 心にずしんと響くことを言われた。
 その言葉の奥にあるものを、もっともっと掘り起こしたくて、縋るように俺は言葉を連ねる。
「俺は……自分に至らないところがあっておまえに愛想つかされたんなら我慢する。もう一度、おまえの側に居られるように努力する。おまえがこの関係に疲れたって言うんなら、無理は言わない。でも、でも、おまえに他に好きなヤツができたなら……それは嫌だ。絶対に嫌だ!」
 ずっと、言いたくても言えなかった言葉がぼろぼろと零れ出した。
 どれもこれも、やっぱり子どもっぽい駄々だった。でも、それが今の偽らざる自分の気持ちだと思うと、俺はそんな自分がいじらしくさえ思えた。
「誓って、俺と紺野課長はそういう関係じゃない。信じてほしい」
 噛み締めるような潤の言葉に、俺が抱いていた紺野課長への疑念は薄らいでいく。
 だが、それでもなお、何かを心に溜め込んでいる潤を、俺はどうしていいのかわからない。行き違う感情に、もうお互いのものではないという現実が、より大きくなって圧し掛かってくる。
 俺はもがいた。必死でもがいた。
「それならどうして他の男に触らせるんだよ……俺のものだ。潤は俺のものだったのに……!」
 行き場のない焦燥感に囚われ、紺野課長の触った潤の上着を、俺はむしり取った。むしり取って、部屋の隅に投げ捨てた。
「お願いだよ、潤……ただの同期に戻るよ。本当はそんなの嫌だけど、嫌われるくらいならそれでいい……だから、だから最後におまえを俺に刻みつかせて? 忘れないように、ずっと忘れないようにするから……お願いだよ。俺を拒まないで――」
 泣き言を言いながら、我慢できずに、俺は潤を抱きすくめた。
 一瞬硬くなった潤の身体は、それでもほろほろと俺の腕の中で緊張を解いていく。背にやわらかく潤の腕が触れて、俺は自分が拒まれていないことを知った。
「最後……?」
 耳許で、とろけるような潤の声がする。
「最後……」
 同じ言葉を繰り返して、今度は俺が潤の耳に吐息を吹き込む。そのまま耳朶を甘く噛んで、舌で周囲を舐め上げた。
「あっ……」
 せつない声を上げて、潤は俺の腕の中で崩れ堕ちた。


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