とあるサンタクロースとトナカイの、その後のおはなし
もうすぐ、あれから二度目のクリスマスがやってくる。
二人で暮らす小さな家の庭に、今年初めての雪が降り積もった次の朝、カイは家を出て行ってしまった。その前の夜、ベッドの中で寄り添って窓の外の初雪を眺めたことが、手のひらの上で消えてしまう淡雪のような幻だったみたいに――。
人としての暮らし、そして言葉を、カイは驚くほどの早さで吸収していった。
だが、人が外国語を学んでもなかなか堪能にならないのと同じように、カイの話し方は言葉が達者になったとはいっても、どこかたどたどしい。
大きな身体に似合わないその話し方が可愛くて、彼に話しかけられるたびに三太は「ああ、ぼくは本当にカイが好きなんだ」と実感せずにはいられなかった。
時にそれはベッドの中で――人としての暮らしを一つ一つ身につけていったカイなのに、なぜかセックスだけは……。
考えて三太は顔を赤らめる。セックスだけは最初から三太を骨抜きにした。どこをどうすれば三太がやわらかくほころんで、そしてとろとろになってしまうのかを、カイは最初から知っていたのだ。
「三太、きもちい?」
「うん……あ……っ、また、また来る……っ!」
「なにが来る? 三太、なにが来る?」
……そんなこと、真顔で聞かないでほしい。言葉が不十分なために伝わらないニュアンスを、三太は身体で訴えるしかない。カイの腰を掴んで足をきつく絡め、自分から腰を押しつけて熱すぎるカイを迎え入れる。つながりが深くなるとカイは本能のままに腰をこねるように動かし、さらに「来る」ものを引き寄せるのだ。
「あっ……うあっ、カイ、カイ、カイ……っ!」
カイのかたちに開いていく身体の奥の奥――知ってか知らずか、三太を狂わせるポイントを、カイの楔が突きまくる。
「も、だめ……そこ、そこ、いや……ぁ――」
「でも三太、とろとろでぼくのこと、離さない」
舌ったらずに責められても、過ぎた快感は恐怖にも似て三太に嫌と言わしめる。これ以上刺激されたら自分がどうなってしまうのかわからない、という恐れ。
本当は、そういうものを三太はカイと共に乗り越えてきた。超えてしまえばそこにあるものは愛しさに裏打ちされた気持ちよさだと経験上でわかってはいても、カイからもたらされて自分の中で実を結ぶ欲情は、いつも怖いくらいにまっすぐで熱かった。
そういう時、カイはまだ人間になりきれていないのかなと三太はふと思う。獣のように、ただ「欲しい」と向かわれるとき、いつも三太は身が竦む。
剥き出しの欲情、そしてそれがなくては生きていけなくなっている自分――「愛してる」という言葉では言い尽くせない感情がうずまいて、でも本当に怖いのは、そんなカイに溺れる自分だと三太はわかっていた。
でも、失念していたのだ。カイには細かなニュアンスは伝わらない。「嫌」「怖い」――壮絶な快感と紙一重で発していた自分の言葉が、いかにカイを傷つけていたのかを。
ぼくが彼にもたれて初雪を眺めていた時、カイはどんな気持ちだったのだろうと、三太は取り返しのつかない思いでため息をついた。
カイがいなくなって一週間が過ぎた夜。今日はクリスマスイブだ。
去年の聖夜の奇跡を思い、三太はただひたすらにカイの帰りを待った。カイ以外のトナカイと組むことなど考えられなかったから、今年はサンタクロースの仕事はしていない。今年は二人で静かに、奇跡の夜を反芻するはずだった。それなのに――。
物思いに沈んでいたら、誰かがトントンとドアを叩く音がした。
――カイ?
弾かれたように飛んで行ってドアを開ける。だが、そこに立っていたのは一頭のトナカイだった。
ぴかぴかに磨き上げられた立派な角、なめらかな毛皮の首筋には、見覚えのある鈴とクリスマスカラーのリボンが結んである。
「カイ……カイなの?」
三太はその場にへたり込んだ。トナカイは三太を覗き込むように首を下げ、鼻先を摺り寄せてくる。その首を抱え込み、三太は泣いた。
「どうして? どうして元に戻ってしまったの?」
トナカイは、くーん……と小さく鼻を鳴らした。まるで泣いているみたいな、せつない音で空気を震わせて。
「ぼくのせいだね……ぼくが、怖いとか嫌だとか言ったから」
だからきっと、カイはぼくのことを信じられなくなったんだ。愛されてることを見失ったんだ……三太はトナカイの首筋にかじりついた。
抱きしめても、抱き返してくれる腕はない。キスし返してくれる唇もない。毛皮越しに伝わる鼓動も、いつものカイよりも速くて、その速さが三太をさらに自責の念へと突き落す。
「でも、帰ってきてくれてありがとう、カイ」
涙をぬぐってトナカイの背をトントンと叩きながら、三太は語りかけた。
「人間でも、トナカイでも、ぼくはカイのことが大好きだよ……でもね、やっぱり人間でいてほしい。だって、カイともっとキスしたいよ。もっとぼくの中をとろとろになるまで愛してほしい。本当はね、カイ、ぼくはカイのことが好きすぎて怖かったんだよ。いつでも気持ちよすぎて、おかしくなっちゃう自分が嫌だったんだ……」
びろうどみたいに柔らかな光沢の瞳が、心なしか潤んで見えた。トナカイも泣くのかな? 鼻先に頬ずりして、三太は自分の涙でカイの毛並を濡らした。
部屋の時計が十二時を打つ。おごそかな神託のように、三太はカイの鼻先を抱いたままで、その音を聞いた。
――メリークリスマス……。
とたんに、目の前の茶色い毛皮が歪んで見えた。砂山が崩れていくように、実体がさらさらと形を変えていく。
「連れていかないで!」
声を振り絞り、三太は叫んでいた。手のひらに掬っても掬っても、カイの残像は三太の指の間を零れていく。嫌だ、嫌だ、ぼくからカイを奪わないで――!
「――三太」
だが、次の瞬間に耳に届いた懐かしい声に、三太ははっと顔を上げた。
「三太、泣いてる? 誰が、泣かせた?」
目の前のカイから、三太に向けて腕が差し出される。五本の指が、三太の頬をそっと撫でる。その手を掴まえて、三太はカイの身体を引き寄せた。
「ねえ、どうした? どうした、三太――」
戸惑うカイは、ほぼ裸だった。ただ、首に鈴とリボンを結んで、それがカイが人間に戻ったゆるぎない証拠を示している。彼はただ、不思議そうな顔をしていた。
無理もない――自分の身に起こったことが、彼自身よくわかっていないのだろう。だが、三太は全てを理解した。
カイの奇跡はぼくの思いによって成り立っている。注ぐ愛と、受け止める愛と、そのバランスが崩れたときに、きっと奇跡はあやふやになるのだ。
人としてまっさらでどこまでも無垢なカイは、ただ愛情によってのみ人となりうる。そんな彼を愛し続けるのは、ぼくにとって奇跡ではなく必然だ。
「三太――?」
心配そうに顔を覗き込んでくるカイに、三太は涙をぬぐって笑ってみせた。しょっぱいキスをたくさんしたら、同じ回数だけキスを返されて、それだけで身体の芯がカイを欲しがって疼いてくる。
「メリークリスマス……」
三太がつぶやくと、カイは人の腕で三太を抱きしめた。その拍子に、カイの首に結ばれている鈴が、しゃらんと小さな音を立てた。
二人が抱き合い、絡み合うたびに、その鈴は優しい調べを奏で続ける。
しゃらんしゃらんしゃらん――またひとつ、奇跡を起こした二人を祝福するように。
Jingle bells, Jingle bells. Jingle all the way……
END
リンクしている本編は「12か月のアンソロジー」掲載「とあるサンタクロースとトナカイのおはなし」
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